New 2024/10/14(月) コンテンツ「短歌」更新


 いつでも、その先に何がある。 
  Music  Midnight News(1999)

2024/11/08(金)
13:55

腿に冷たく、ベランダのサッシが開いていた。枯れ葉とじゃれる娘を見て、途絶えた鈴の音に煙草を手にする。持ち堪えた和林檎の葉に燻らしている。そろそろ玉子を買いに行く。靴音の背広がエンジンを掛けるのと同時に、そう思った。

あの熟柿の蔕(へた)が取り残されている。実葉を一枚いただこうかと思った。だが、川面が陽射しを跳ね返す方が色づきが良い、妻の笑顔はまた今度にした。そうメモしながらである。青の信号に気づかずにいた。店内はカリフラワーがお買い得らしかった。三つ葉もいつもより30円値下げしてある。驚愕は、あきたこまち5キロが数量限定で2,980円であったことだった。帰路、甘酢に輪唐辛子か…と耽った。

遠くより目の前を見ることの方をと、滞るコンテンツ「歌」の思索に埃の立つのを待つ。これから通院の付き添い、ひと月に一度のタクシーデートである。酔い止めを飲むほどの彼女である、帰宅してから味わって欲しい物が引き出しにあるが、今は云わない。黒のデニムにトレーナー、彼女は黒のワンピースで合わせるようだ。

目に映る何かに恰好をつけて自身からはみ出した言葉にするのは滑稽ではないか。微睡を言い訳にしたくなる。まだ余白がある、トリスのスキットボトルがあった方がいい。



2024/10/30(金)
自我の衰退から

相原コージ氏の文化人類ギャグかと思う。BIGIやJUNで全身を包む男子の靴下が福助であることを笑っていた。上京を控えた頃の友人の影響で自分も弘前市のハイローザでDOMONのネクタイを手にする。当時は同僚達も都会で暮らす若者のステイタスとしてか、いくつかで着飾り出社等していたようだ。

ある日、渋谷の大中で黒のカンフー着とシューズ、鴬色の人民帽を買った。そして触発された同僚が明くる日、赤のカンフー着と紺の人民帽を買う。「これで原宿に行こう、インタビューされて何故今カンフーなのか?熱く語るのだ」ふたり先ずは度胸をつけるため隣駅の西友に行くことにした。飄々を気取ってレジ袋に食材を詰める姿を目撃した同僚が「健はまだお洒落っぽく帽子かぶってるからいいけど、山は赤カンだろ?」と笑うのを見てほくそ笑む。だが、実行に移せずのまま熱は冷め、彼は長い間寝巻として愛用していたようであったが、自分は社内の運動会で着た別の同僚が障害物競走で「なんだ、あのふざけた格好はー(笑)」とアナウンスされるに留まり、ほぼ無駄な出費に終わった。そういう時代だったのである。

年を重ね、最近は無頓着に黒のTシャツかトレーナーばかりである。Indiaの衣類を好んでいた頃もあった。赤に花柄の婦人服を上半身裸のまま羽織り、或いはUネックのラクダに紫の腹巻、ダメージジーンズに雪駄結髪で繁華街の昨年を思い出している。



2024/10/16(水)
ローリング55

奥行きのあるベランダのハイビスカス、マウイ島に行きたいという拓郎氏を見て自分は何をこんなに塞ぎ込んだ気持ちになっているんだろうと思った。kayoさんと同じようにヨメもまだまだ傍に居て、いつもどおり買い物や喫茶店にも出かける。PCにやってきた小さな蟻に息を吹きつける自分である、他人の振舞いはどうとは言わない。昨日のデートで語り口調が熱くなった。誰も昨今、自分が居るからか暑い暑いと聞こえてくるからねと笑って見せた。若い頃は行旅死亡人に憧れて路上ライブ、最期は施しもなく喉も枯れ果て野垂れ死にでとそんな話である。

帰路、定番のジャワカレー辛口を見て彼女のゴールデンカレー中辛を思い出す。若干安価、だがその列だけ空であって辛口をカゴに入れる。ヨメは父親が好みでバーモントカレーを混ぜていたと近日のテーブルに嬉々としているふうであった。居酒屋は緑茶ハイが紅茶ハイ、椎茸の串揚げがうずらの玉子と話して聞かせた。

長渕氏は〜ライスと名の付く料理が好きでドーナツが得意とyoutubeで、松本人志氏のひーちゃんライスを思い出す。確か生玉子を載せた、味付けは醤油とコショウのみの焼き飯であった。そうして最近は、コンテンツ「歌」の更新もおろそかにtwitterばかりにかまけている。弦を張り替えるのもいい。拓郎氏の食わず嫌いはパパイヤであった。



2024/10/03(木)
消化試合の内訳

我侭だけで言えば自分は今、もう消えていっていい。夕暮れの雨音を聞き、傍で横たわる妻にそう告げると「どうしたの?またネガティブになった?」と明るい。缶コーヒーが美味かった、黄昏れるのは気力の湧いた裏返しではないか。ケセラセラは良い言葉である。以前よりも、今、現在置かれていることに目が向くようになった。

年を重ねて「見る」ことに注釈が増えていく。例えば今目に入った飯台には、膨大過ぎておぼろげな日々の食卓の風景がある。ひとつ挙げてみると梟(ふくろう)の夫婦箸は錦松梅(きんしょうばい)等も頂いたフォロワーさんからで、拙いお返しに二人で風香を描いて渡した。高揚していた頃は真面目に、自分は芸術で稼げるから五億円受け取って欲しいともLINEしたことがあったように思う。綺麗な方である。密かにスクリーンショットを保存している。そんな「見て」一々を巡らせていると、伽藍とした精神科の隔離室が恋しくなっていく。

19時を廻り、今夜の支度に妻が寝息を立てている。今は銭金の問題、事情はあるが、母親の最期はやはり父親と眠るのが良いのではないかと考えるようになった。散骨も簡単な話ではない。自分は妻が帰らなくても良いのなら娘と三人、公営か共同墓地にと思う。…叩き起こせばいい。ツイートを待っているフォロワーも沢山いる。そう、だから先のことは精々来年の彼岸に牡丹餅と御萩を又くらいで居るのである。後は月一の某女子とのデートである。

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