束の間
俄(にわ)か雨。若干涼、梅雨明けは未だの様です。ライブ配信を暫く休もうかと、そんな日常へと机上の灰を拭い、後一服。変わり映えは多少、ただそれだけで。(2024.7.11)
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21才の馬鹿
当時、学生であった幼馴染への手紙でした。会社の長机で内職したものです。この頃は代々木上原から池尻大橋まで国語辞典と新聞を裸で持って通勤していました。内容について若い頃は時間に余裕もあって誰でも考えうることという反応が大多かもしれません。自身にとってもモラトリアムの最中(さなか)でした。(2024.2.22)
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鱒子(みどり団地にて)
「あっつーままさ、すずご(熱いご飯に、筋子)」と地元の方が云います。幼少時母親から、小粒の筋子は鱒の子と教えられています。食感が繊細ではないでしょうか。施設から「ひろさんは歌が好きで、よく歌っていますよ」と皆でカラオケを楽しんでいるような便りがあり、訪問する時にまた食べるのを楽しみにしています。(2023.12.27)
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和胡桃
津軽土産、洋胡桃より殻は硬いが味は濃厚という野菜屋のおど様でした。金槌ではやりづらかったです。身も外しづらいのを見たヨメが、これで耳くそを食うように…と手渡してくれました。(2023.12.6)
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雪國
津軽鉄道、三味線の名手も此の地から。金木(かなぎ)町の斜陽館までと南津軽は岩木山があって恵まれていると思いました。降り立って津軽三味線館に向かう先、郵便局でトイレを借り、暖をとらせて貰いました。近々、津軽中里駅で人間コンテストをやるそうです。(2023.11.29)
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ジョギングダイエットの頃は
麻生川、新三輪橋の袂(たもと)、間知石(けんちいし)からの果実に今年初めて気が付きました。「桃栗三年、柿八年(何事も結果が出るまでには、それ相応の時間が必要になる)」傍に芒(すすき)も居る様です。(2023.10.21)
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誘われていたのか
ファミマで70円引き(実際は前日迄のポップ)でよしよしと、この前はカレーチャーハンだったしチリトマトは…。秋朝何気に風も清(すが)しくツマミにして、公園で一杯飲って帰ることにしました。小百合(こゆり) ちゃんがいました。紅葉(もみじ)も一年経ちましたか。カップ麺はあたたかかったです。(2023.10.3)
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喫煙具
喫煙所の傍の階段に腰を掛けて一服。シガレットケースには和訳で「世界へ船出?」とあります。態々(わざわざ)ケースに似合うようなマッチ箱の柄を選びました。父親の煙管(パイプ)を使いたくて両切りも愛煙しています。竹串は詰まったりもするので同備です。(2023.10.1)
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WALKMAN
高校三年生の頃、小学校からの同級生「くどたか」から貰いました。就職の面接や内定者連絡会で上京する度によくお世話になりました。小型でラジオにはTVの音声チューナーもついていました。当時のSONYの技術者はすごいですね。初機は¥32,800−だったと思いますよ。彼は代々木上原の鈴木荘に住んでいた時、商店街で最高級の国産牛もおごった挙句、調理までしてくれました。それでひとつ、言い出せなかった言葉にも「人参かでな(固いな)」と驕ることなく告げてくれたのです。(2023.3.9)
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