鬱
万年うつしてまんねん気味の僕がこっぴどいうつと過ごした一昨年の1997年6月。割と「死」に近づこうとしていたことは知る人ぞ知るところでしょう。
この頃、僕は職場を離れてずっとこの六畳間に引きこもり、くる日くる日を置き場所のない「生」とともにやり過していました。「死」に執着するあまり、新たな「生」への展望を考える余地も見つけられないのです。人に恐怖して外へ出られない、テレビを観ても本を読んでもうわのそらなのですから、当時今以上に疎かったInternetに接続する手立てを調べる意欲なんてさらさら湧いて来ないハズです。ただ索漠と過去の記憶を辿り、はたまた絶望しか思い描けない未来にうなだれて、とどのつまり「死」に結びつける「生」とのジレンマの日々でした。通帳の残高もカツラでも着けようかと思うくらい淋しいから「酒」や「薬」に逃避はできない。僕がすることといったら主に「食べる」かひたすら「寝る」かでした。
「生」を陰惨なイメージの日常からこそげ取るように繰り返すメシです。先の2ヶ月ほどは1日半食ぐらいしか食べなかったのですが、少し多めに食べれば次はもうちょっと多めに食べたくなるのですね。買い物する行動力を振り絞って米を調達してきては、猫も思わず眉をひそめる味噌をオカズにご飯を食べる「みそライス」三昧をするのでした。略して「みそライ」は、僕の「生」に対する図々しさとゆうか醜さとゆうか、延命しようとする所為がそうさせた究極のメニューだったのかもしれません。そして、「これがこの世で最後の晩餐か…」とか脳裏で呟きながら、広大なる満腹感を持ってして、「死」の付け入る隙をなんとかシャッタウトしようと試みていたのです。たまに食べる卵の美味さがつかの間の至福に「味わい」の贅沢を添える一品となっていました。
とにかくこれで一息はつけるのです。が、胃が落ち着くのが速いかすぐさままたもや取り止めもなくこうべを廻らすジレンマに陥っていきます。今度は苛立った感情を、洗濯物たちがみっちり詰まった学生下宿の押し入れにでもなだめるかのようにして、お目目を閉じつつ「睡魔さま」が僕をどっか遠い世界へ連れ去ってくださるのを待ちます。時を失った状態。ここでまた一息でしょう。が、「睡魔さま」の魔術による「目覚めの時」が訪れて、ネボケタ頭が回転し始めると「うへー」再び取り止めもなくこうべを廻らすジレンマです。その内、寝すぎで寝れなくもなって、3日はうたた寝の「半徹状態」が続くのです。「もーいやぁ!!」です。
逃避したつもりで一息つくと即座に頭をもたげていけしゃあしゃあとやって来る「死」。卑しくも一矢報いた「生」がそこにあったのでしょうか。
僕はあきらめてます。きっとこのうつの「うっちゃん」とは一生付き合っていくんだろうと。親友とか恋人とかではないけれど、妻とは別のライバルのような伴侶ではあるだろ
う。まづまづ。今後ともよろしくっス。
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